カテゴリ:生きることについて( 25 )

子供の身長を伸ばす方法?

僕は、こうやって自分の身長を伸ばした。

僕が中学生の頃、人気TV番組のひとつに「太陽にほえろ」があった。
マカロニ刑事が殉職し、後任として七曲署に配属されたGパン刑事。
僕は、このGパン刑事に強烈に憧れた。

演じていたのは、俳優の故松田優作さん。
何かの本で、彼の身長が185センチであると知り、以来僕は、自分の身長が将来絶対に185センチになると信じて疑わなかった。

そうしたら、本当に185センチになったのだ。

大切なのは、思い込みだ。
信じて疑わないことだ。
人間は自分が思ったとおりの人間になる。
それを身をもって体験した。

以上、誰に話しても信じてもらえないことなのだが・・・
by hotshark | 2004-06-05 11:21 | 生きることについて

苦労せずにやせる方法

僕は、昨年、わずか数ヶ月で15キロ減量した。

数年前に90キロ代に突入し、最盛期は99キロまでいった。
常に、97キロ前後をうろうろしていた。
いくつかダイエット方法を試したが、まったく効果はなかった。
でも、昨年、突然82キロにまで減量した。
その後、従来と同じように食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んでいるが、リバウンドすることもない。
今は、82~84キロの間をいったりきたりしている。
体脂肪率も、20前後を保っている。

何か特別なことをしたわけではない。
やせる努力もしていない。
ひとつ理由が考えられるとすれば、それは「気」の習得だ。
合気道の稽古を通じて、気の存在に気付き、それに素直に従う習慣が知らず知らずのうちに身についた。
その結果、本来の自分のあるべき姿に戻った、と僕は考えている。

この方法は、別に合気道を習わなくとも、誰にでもできる。
お金もまったくかからない。
食事の制限も必要ない。
日常生活を送る上で、ある習慣を身につけるだけである。

この方法をもっともっと練磨し、多くの人のために役立てたいと考える、今日このごろである。
by hotshark | 2004-06-05 10:01 | 生きることについて

いったいどこまで行くのだろう?

新聞を読んだり、仕事をしていて、最近よく思うこと。

いったい人間は、どこまで行くのだろう?

もっと便利に!
もっと速く!
もっとたくさん!
もっと!もっと!もっと!

ある飲料メーカーに勤務する友人から聞いたこと。
中身はほとんど一緒なのに、次から次へと名前やブランドを変えて売るのは日常茶飯事。
もっと売らなくてはならないから。
で、缶のデザインやら広告やらプロモーションやらで、たくさんの会社や人に恩恵をもたらす・・・
すばらしいことではないか!

僕はそんなことに加担したくない。
僕は、静かに暮らしたい。
太陽とともに目覚め、額に汗して働き、あらゆる行為に喜びを感じ、
あらゆるものに愛を感じ、感謝し、ゆったりと、心静かに、平凡に、毎日を送りたい・・・
by hotshark | 2004-03-26 19:30 | 生きることについて

日々感じる歪み

神様は無駄なものは一切作らない。

だから、必要ない人間なんてただの一人もいない。
すべての人が、それぞれの使命をもって生まれてくる。
しかし、その使命は確実にプログラムされてはいるが、本人がそれに気付くかどうかは定かではない。

では、どうやればそれに気付くことができるのか。
自分の使命は、自分が喜びを感じること、自分が心から好きと思えること、その近くにある、と僕は思う。
自分自身の過去を振り返っても、自分が喜びを感じることであれば、自分が本当に好きなことであれば、苦労を苦労と感じない。
眠らなくても、飯を食わなくても、没頭できる、それをやり続けられる。
そういうものの近辺に、神様から与えられたこの世における自分の使命がある、と僕は思う。

それら、つまり自分が本当に好きで喜びを感じる対象を見つけるためには、もっともっと自分を解放しなければならないと思う。
既成概念、ルール、常識等に埋没していては、絶対に見つけることはできない。
人間は自分の使命を見つけるために、自由にならねばと思う。

武術家の甲野善紀さんが「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」ということを実感として感得したいがために道場を設立された、と何かの本で読んだ記憶がある。
“完璧に決まっているが、同時に完璧に自由である”、それに近いことを僕も感じる。

この自由が奪われ、歪曲されてしまっているのが、現代社会の病理の根源だと思う。
つまり多くの人が、自分が本来持っている使命に気付かず、後天的に与えられた既成概念やルールや常識にがんじがらめになって行動している。
また我々が想像できないくらいに生命の尊厳が無視されている世界もある。
それらは神様(仏様、または大宇宙でもいいが)の意思に反することなので、調和のとれた世界とはどんどんかけ離れていく。
そんな気がしてならない。
by hotshark | 2004-03-05 23:14 | 生きることについて

将来、何になりたい?

a0002763_6208.jpg子供の頃、こう聞かれ、みなさんはどう答えておられただろうか?
実は、僕は強烈に「○○になりたい!」と思ったことがない。

幼少の頃、僕は車が大好きで、2歳にならないうちにたくさんの車の名前を覚えた。
数え切れないほど、車のおもちゃを持っていた。
ハンドルやホイルキャップの一部を見ただけで車種を当て、「この子は神童か?」という噂もあった。
母親は、この子は将来自動車会社に勤めるか、車屋をやるんじゃないかと思っていたそうだ。
でも、僕はそんなこと、一切考えたことなかった。
ただ単に、車が好きなだけであった(今も大好きである)。

それから、僕は絵を描くのが大好きだった。
どこへ行くにも、紙と鉛筆が欠かせなかった。
何かを写実するよりも、自分の頭で想像したものを描くことが多かった。
漫画もたくさん描いた。
だからといって、芸術家になりたいとか、漫画家になりたいとも思わなかった。
ちなみに、僕の父方の祖父は画家、母方の祖父は写真家であった。
よくは知らないが、僕の両親は経済的にえらく苦労したらしい。
そのため「芸術をやっても食えない」、「毎月一定の収入があることのありがたさ」を痛感していたようだ。
当然の帰結として、僕の父親は大きな会社勤めのサラリーマンであった。
そんな両親の影響もあり、最初から芸術の道はあきらめていたのかも知れない。

そんな僕ではあったが、ぼんやりと「何かを作る仕事がしたい」ということは考えていた。
大学では、インテリアデザインを専攻した。
建築家やインテリアデザイナーに憧れはしたが、どうしてもそれで飯を食いたい!と強烈に思うことはなかった・・・

<またの機会に続く>
by hotshark | 2004-02-10 20:44 | 生きることについて