日々感じる歪み

神様は無駄なものは一切作らない。

だから、必要ない人間なんてただの一人もいない。
すべての人が、それぞれの使命をもって生まれてくる。
しかし、その使命は確実にプログラムされてはいるが、本人がそれに気付くかどうかは定かではない。

では、どうやればそれに気付くことができるのか。
自分の使命は、自分が喜びを感じること、自分が心から好きと思えること、その近くにある、と僕は思う。
自分自身の過去を振り返っても、自分が喜びを感じることであれば、自分が本当に好きなことであれば、苦労を苦労と感じない。
眠らなくても、飯を食わなくても、没頭できる、それをやり続けられる。
そういうものの近辺に、神様から与えられたこの世における自分の使命がある、と僕は思う。

それら、つまり自分が本当に好きで喜びを感じる対象を見つけるためには、もっともっと自分を解放しなければならないと思う。
既成概念、ルール、常識等に埋没していては、絶対に見つけることはできない。
人間は自分の使命を見つけるために、自由にならねばと思う。

武術家の甲野善紀さんが「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」ということを実感として感得したいがために道場を設立された、と何かの本で読んだ記憶がある。
“完璧に決まっているが、同時に完璧に自由である”、それに近いことを僕も感じる。

この自由が奪われ、歪曲されてしまっているのが、現代社会の病理の根源だと思う。
つまり多くの人が、自分が本来持っている使命に気付かず、後天的に与えられた既成概念やルールや常識にがんじがらめになって行動している。
また我々が想像できないくらいに生命の尊厳が無視されている世界もある。
それらは神様(仏様、または大宇宙でもいいが)の意思に反することなので、調和のとれた世界とはどんどんかけ離れていく。
そんな気がしてならない。
by hotshark | 2004-03-05 23:14 | 生きることについて
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