武術に準備体操はない

本来、武術に準備体操などあり得ない。
それはそうであろう。
昼夜、場所を問わず、いつ、どこで何があるかわからない「常在戦場」。
その中で常に最高のパフォーマンスを発揮し、当然のこととして生を勝ち取るのが武術である。
常に臨戦態勢、常に準備万端、それがごく当たり前のことなのである。

毎回、合気道の稽古の最初に必ずやる体操。
それを僕は今まで「準備体操」と呼んでいたが、それは大きな間違いであった。
そのことに、最近やっと気付いた。

あれはいわゆる「体操」であり、“準備”のためにやっているのではないのである。
文字通り、身体を操る稽古なのである。
武術に適した身体を練りあげるための、鍛錬なのである。
そういえば、先生は“準備”体操とはおっしゃらず、体操と呼んでおられる。

体操のひとつひとつの動きの中に、深い意味と教えがある。
それは、受動的に教えられて学べるものではなく、自分で求め、自分で気付く以外に無い。
気付きは一度だけでなく、回数を重ねるごとに新たな発見があり、深みを増す。
壁を越えたと思ったら、また新たな壁が立ちふさがる。
その繰り返しである。

気付きは、真剣な取り組みの上に生じるものである。
漫然とやっていては、絶対に起こり得ない。
常にいま、この時を逃すことなく、真剣に対峙したいものである。
by hotshark | 2007-02-24 01:54 | 武道について
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