本日の稽古日記 5月15日

今日は、若い男性が一人、体験稽古をされていた。
さすがに若いだけあって身のこなしが軽いし、覚えが早い。
若い方はなかなか定着しないので、ぜひ続けて稽古に参加していただきたいものである。

少し残念だったのは、先週の稽古終了後に怪我をされた方がいたことである。
稽古中の怪我なら仕方がないが、稽古終了後に上級者と一緒に少し無茶な技をされたみたいである。
怪我をしては、しばらく本格的な稽古もできない。
先生は稽古中に怪我をしないように細心の注意を払っておられるのに、稽古後に怪我をしては先生に対してもたいへんに申し訳ない。
本当に残念であると同時に、今後そのようなことが起こらないよう、指導的立場にある我々が気をつけねばならないと反省している次第である。



今日は、先生から「手鏡」の話をうかがった。

手鏡を見る動作が、いろんな技に使えるということである。
予備動作がなく、力が入らず、しかし確たる目的をもった自然な動作。
相手に悟られることなく、相手に抵抗を覚えられることもなく、しかも強力な力を秘める動作。
ただしこの力は、筋力とはまったく次元の異なる力である。
老若男女問わず、本来誰もがもっている力である。
これを合気道の技でいかに使えるようになるかが、目下僕のいちばんの関心事である。
ところが皮肉なことに、意識すればするほど使えなくなる。
日常生活ではできていることが、道場で誰かを相手にすると、身体が緊張し、力が入ってしまう。

おそらく自転車や水泳のようなもので、できるできないの間には非常に大きな溝があるが、そこを越えると忘れることはない、そんな類のことであると思う。
これは、繰り返し実際にやってみて、失敗しながら自分で感覚を掴むしかないのである。
そういえば、先日読んだ宇城先生の著書「武道の心で日常を生きる」の大きなテーマのひとつがこれであった。
頭であれこれ考えるのではなく、身体に刻み込むことが大切である。
これを宇城先生は「身体脳」と表現されていた。

いずれにしても、自分はまだまだ入り口に立ったばかりである。
来週の稽古が待ち遠しい。
【番外編】
稽古終了後、独身女性二人が「どうやって結婚相手を見つけるか」というような話をしていたので、無謀にも口をはさんでしまった。
二人とも、容姿、性格ともに申し分ない(というより、かなりイイと思う)。
もし僕が独身であれば、おそらくどちらかに(どちらにも!?)交際を申し込んでいたと思う(彼女たちからは断られると思うが)。
にもかかわらず、二人とも、なかなか結婚にふさわしい相手が見つからないらしい。
というより、好きになる男性が出現しないらしい。
なぜか。
僕は、二人とも、意識的か無意識なのかわからないが、結婚相手の条件を決めてしまっているのではないかと思う。
例えば、こんな性格の人がいいとか、不潔な人は嫌だとか、仕事に理解がある相手がいいとか、容姿はせめてこうじゃないと困るとか、長男は嫌だとか、親との同居は絶対に避けたいとか・・・
条件をつけるということは、プラスの状況と同時にマイナスの状況も引き寄せる。
つまり、条件をつけた時点で、本来出会うべき相手を遠ざけてしまっている、僕はそう思うのだ。
一度しか結婚した経験がない僕がこんなことを言うのはおこがましいが、人間は年齢を重ねるとともに変わっていくものである。
人のいいところを見つけ、そこをとことん好きになってみてはどうだろうか。
もちろん、箸にも棒にもかからない相手と付き合う必要はない。
だが、ただただ穏やかに、やさしい気持ちで周囲の男性を今一度見直してはどうか、僕はそう思うのである。

*余計なことを書いてすみませんでした!機会があれば、またゆっくりお話しましょう>おそらくこの記事を読んでくださるお二人へ。
*素敵な女性が、結婚相手を探しています。我こそはと思う独身男性は、ぜひご連絡を!

by hotshark | 2005-05-15 14:25 | 合気道稽古日記
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