今日は、母方の祖母の十三回忌法要のため、京都紫野にある大徳寺大仙院へ出かけた。
まずは本堂で、住職である尾関宗園和尚らとともに読経、及び焼香。
次に、墓前にて読経、及び焼香。
その後、お茶をいただき、本堂で尾関宗園和尚の説法を拝聴する。
思い起こせば、尾関宗園和尚に初めて会ったのは、僕がまだ小学1年生の頃だ。
今から40年近く前、母方の祖父(母の父)が亡くなったときであると思う。
よくは知らないが、それ以前から大仙院と祖父は密接な関係にあったらしい。
(母に確認したところ、先代住職である尾関南岳和尚と祖父が友人関係であったとのこと<後日記>)
以降、法要で母の実家へ親戚一同が集うたびに、和尚が読経のために来宅される。
終わったあとは、和尚を囲んでたいへんにぎやかな宴が始まる。
大人たちは、楽しくもありがたげに和尚の話を拝聴していた。
和尚は、当時から底抜けに明るい方であったが、眼力の強さが子供心にも非常に怖かったのを覚えている。
我々子供たちは和尚につかまえてられては、
「おお、ええ子がおるやんか。ひとり寺にもろうて帰ろか」
と言われ、恐れおののいて逃げ回っていた記憶がある。・・・
その後、大人になってからも、何度か和尚の話を聞く機会はあったが、今日ほど身に沁みたことはなかった。
「打てば響け!」
「常に弓を張れ!」
「あんたのことや、あんたしかおらん!」
「あんたの前に道はない!あんたが通ったあとが道になるんや!」
「自分を信じろ!ちょっとでも疑ったらあかん!」
「一寸千貫!」
和尚の言葉のひとつひとつが、心に響いた。
ああ、大いなる何かが僕に語りかけてくれている・・・
僕はいま、大いなる何かに包まれている・・・
そんな気がして、和尚の目を見て話を聞いているうちに、自然に目に涙がにじんできた。
お話のあと、和尚はいつものように駄洒落を連発しながら、我々を通用門まで案内してくださった。
そして合掌しながら、我々が去るのをずっと見送ってくださった。
いつまでも、尾関宗園和尚がお元気であられることを、心より願う。
尾関宗園和尚のWeb説法