愛について

愛について_a0002763_8421572.jpgこのところ、ずっと気持ちが重苦しい。
心配ごとや悩みはあるが、特に大きなものではない。
家族はみな健康だし、仕事にも不満はない。
周囲は、いい人ばかり。
なのに、気持ちが暗い。重い。
なぜだろう?この気持ちはいったいどこから来るのだろう?とずっと考えていた。

そんなとき、出張帰りに東京駅構内の本屋でふと目にとまった、この本。



『愛について』
人間に関する12章
・著者:五木寛之
・2004年6月25日 第1刷発行
・発行所:角川書店

この本の冒頭に、非常に考えさされる、また共感できる一文があるので、引用させていただく。

なぜいま愛なのか

 この数年、暑さ寒さの変化が激しく、不穏な空気が日本列島を覆いました。それと連動するかのように、言葉ではあらわせないような、凶悪な犯罪も次々とおこっています。
 それらの出来事は、すこし前ならば、この年の十大ニュースに記録されるような衝撃的な事件です。しかし、このような報道に接するたびに、「またか」という反応が心のどこかに生まれていることは否定できません。私たちは恐ろしいことに、もはや凶悪事件の残酷さ、悲惨さにすっかり慣れてしまっているのではないでしょうか。じつはこの、心の現実にこそ深刻な問題があるのではないかと思うのです。
 私たちの精神構造は、どうにもならない不思議なところに入りこんでしまっている。私たちの心の状態というものが、かつて日本人が体験したことがない極限状態にまできてしまっているのではないかという気がして仕方ないのです。
 そのようないま、なにをもって、その状況に立ち向かえばよいのか。私はそれは宗教でもなく、道徳でもなく、しつけの問題でもなく、感情の問題ではないかとふと考えるのです。
 私たちの心はいまからからに渇いているという感じがしてなりません。仮に心というものをお絞りに見立てて考えてみると、からからに乾燥して、水分が一滴もなくなり、ぎゅっと絞れば、粉々になってしまうような状況といえるのではないでしょうか。そこにさらに、ドライヤーの熱風の「強」のボタンをやみくもに押し続けているのです。
 では、その渇ききった心をなにで潤せばよいのか。私は月並みな発想ですが、それが、愛、または愛情というものではないかと思うのです。

愛は、この世でいちばん大切なもの・・・僕は以前からずっとそう考えていた。
僕が合気道を始めた動機のひとつは、きっと愛についてもっと知りたいがためだったと思う。
また、このブログのタイトルに“愛”の文字を入れたのも、単なる駄洒落ではない。

で、冒頭に述べたような僕のこのところの気持ちの重さ。
それは、「愛の欠乏」ではないか、と思う。
誰かに愛されたい、というのではない。
むしろ逆で、僕の前にあらわれたすべての人に、すべてのものに、すべてのできごとに、無条件に無償の愛を注ぐこと、そして感謝すること。
僕は、それらをすっかり忘れてしまっているのではないか、そう思ったのだ。

心の重さ、暗さの原因は、周囲の状況のせいではない。
原因は、自分の中にある。
自分が変わらなければ、何も変わらない・・・

しかし、神様は、必要なときに必要なものを与えてくださる。
そのことに、改めて驚き、心からの感謝の気持ちをもたざるをえない。
by hotshark | 2005-01-22 08:31 | 本について
<< たこ焼き 本日の稽古日記 1月16日 >>